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松光院 三弘大師教會について

大正二年五月一日、高州旧霊松の跡地へ一本の松を植樹し、祈念すること三七日に及び、満願の朝彼の松に日光輝きを見るや三聖の出現を感得す。これ高祖弘法大師、理源大師、神変大菩薩なり。依ってこれを三弘大師と崇め奉り本尊と定め、この因縁を以って私号を松光院と醍醐三宝院門跡より賜ること大正二年十一月十六日の事なり。日夜三密修行の傍ら加持祈祷御伺い等施行し、諸人の苦悩を除き幸福を得せしむと共に、讃仏歌を教導し奉り、同三年正月二十一日篤信者中山秋之助並びに小川一心尼の両氏を始め諸人の請いを容れて三弘大師守諸講社並びに三弘開山会と組織する。同十二年九月一日、関東大震災に半壊と成った大師堂を一般会員講中の賛助を得て大改修をなし、同十三年秋、当本堂南側二十有余坪の事務所として増築し、埼玉県知事の認可を受け、真言宗醍醐派分教会を設置する。これ昭和四年八月十四日の事なり。今の宗教法人三弘大師教会これなり。時に同三十八年五月は、本尊感得五十周年に相当するため、記念事業として新たに事務所再建に当り会員講中二百有余名の篤信者等に依り二年間の積立金にて九月二十三日上棟の式典を行い、同三十九年五月二十一日落慶報恩柴燈大護摩を厳修し、講員には記念として弘法大師金像を授与。一般寄付者へは護摩札及び御供餅を贈呈し、其御名寄進表に掲げ、尚記念台帳へ記載し永くこの美志を伝うる者也。

                    昭和三十九年十月二十一日

                               真言宗醍醐派

三弘大師教会

                              開山主 倉田秀音

旧事務所再建寄進者御芳名記録台帳より